ドラマ『青天を衝け』41話(最終話)のネタバレと感想!栄一がノーベル賞候補に!

渋沢栄一(吉沢亮)は、実業界に長く貢献し、喜寿を期に、実質的に引退します。

引退後も長く日本のために尽くし続けました。

(栄一の没年は91歳(昭和6年)で、当時としてはかなり長生きの部類に入っています)

↓吉沢亮が91歳を演じました。

江戸時代から明治、大正、昭和と生き抜き、日本の近代化を見送った感じではないかと思います。

そして広い分野に貢献度が高く、1万円札の画像として登場してもおかしくない人物だったと言えるのではないでしょうか?

さて、最終話が放映されました。

さっそく振り返ってみましょう!

ドラマ『青天を衝け』41話(最終話)のネタバレと感想!

栄一は、ワシントンの軍縮会議(1921年 大正6年)に出席するために渡米し、当時のアメリカ大統領であるウォレン・ハーディングと会見します。

↓栄一が会見したウォーレン・ハーディング大統領

当時は、日本からかなりの日系人がアメリカに渡っており、移民問題など悪化した日米関係の改善のために尽力します。[ad4]

栄一が後継者に指名したのは孫の敬三だった

前話に出ていますが、栄一は自身の後継者として渋沢敬三(笠松将)を指名しました。

↓ライバル同士の孫が結婚することに!

栄一の後を継ぐ決心をした、敬三は銀行家となり、経験を積むために英国に渡ります。[ad5]

大正の大事件 関東大震災が起きる

渋沢家が世代交代をしているちょうどそんな時期に関東大震災(1923 大正12年)が首都圏を襲います。

栄一は周囲の心配をはねのけて救援の最前線に立ちます。

そして、国内外の実業家に寄付を呼びかけ、資金を集めるために奔走したのでした。

そんな栄一は、中国の水害(1931年 昭和6年)について自宅から、ラジオを通じて募金を呼びかけますが、折あしく満州事変が勃発します。

日中関係が悪化したため、救援物資は受け取り拒否を受けてしまいました。

しかし、栄一は諦めることなく、病床から自分の思いを伝え続けたのでした。[ad6]

ドラマ『青天を衝け』41話(最終話)のネタバレと感想まとめ

栄一の輝かしい功績の一つにノーベル平和賞候補になっていた、ということがあります。

1926年(大正15年)と1927年(昭和2年)の2回、候補に挙がったようでした。

商業関連だけではなく、医療・文化・教育など、あれやこれやの分野で栄一は活躍をつづけました。

栄一の精神は、今も受け継がれています。