
北条家との利害関係が一致して、とうとう平家に対して挙兵をした源頼朝(大泉洋)。
しかし、当初は平清盛(松平健)に逆らうことをためらう勢力が多く、集兵もままならない時期があったようです。
そこで奔走したのが、北条家の面々であり『鎌倉殿の13人』のメインの登場人物である北条義時(小栗旬)らだったということのようです。
さっそく第6話をふりかえってみましょう!
ドラマ『鎌倉殿の13人』第6話のネタバレと感想!
平家討伐の闘いの序盤戦となる、山木館などの襲撃に成功した頼朝らでしたが、そこからはしばらく苦戦を強いられます。
頼朝たちは、源治ゆかりの地である鎌倉を目指すのですが、何より兵力が集まらなくて困ったのですね。
↓頼朝の苦悩の状況が続きます。
\#鎌倉殿の13人 ギャラリー/
【第6回】本日放送!
[総合]夜8時
[BSP・BS4K]午後6時#三谷幸喜 が贈る予測不能エンターテインメント!#大泉洋 #源頼朝 pic.twitter.com/zuy4oiNZ7V— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) February 13, 2022
平家から息がかかっている、静岡~伊豆地方の豪族など有力者がこぞって対抗し、頼朝らを苦しめます。
そして、援軍を約束してくれていた源氏方の三浦軍勢が酒匂川の増水で渡れず、援軍が到着できなくなってしまったのですね。[ad4]
やむなく源氏方は甲斐の武田を頼ることに
頼朝軍は300騎と言われるところへ、平家方はなんと3000騎を率いての圧倒的な大差を見せつけられます。
初戦、頼朝方はあっさりと敗走してしまいます。
その上、北条は義時の兄である北条宗時(片岡愛之助)ら有力な坂東武者を失うことも重なりました。
こうなると、どうしても援軍を呼ばなくてはならない状況に追い込まれます。
しかし、頼朝は過去の因縁から、どうしても武田信義(八島智人)には頼りたくはないと主張します。
背に腹は代えられず、義時は頼朝を説き伏せ、父の北条時政(坂東彌十郎)とともに、武田信義の元に向かうのでした。[ad5]
信義は源氏の頭領は自分であるという
信義は「頼朝に力を貸すつもりはないが、北条には手助けをする」と宣言します。
信義は、時政に対して院宣を求めます。
院宣(いんぜん)とは…後白河法皇が、平家討伐を任せる文書のこと。
時政は、頼朝を見限るつもりで、信義の求めを一度受け入れます。
この時期、義時は宗時が殺害されたことをまだ知りませんでした。
結局、北条家は甲斐の武田信義の助けを使わずに、戦略を進めることになります。[ad6]
八重は身を隠している政子らを訪問する
北条政子(小池栄子)、北条りく(宮沢りえ)、北条実衣(宮澤エマ)らは、北条家を離れて寺社に身を隠していました。
八重(新垣結衣)は、彼らを訪問し、頼朝が自分の夢枕に立ったと説明します。
↓北条家の女性トリオが登場!
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』
\女性トリオに注目!/政子役:小池栄子さん、実衣役:宮澤エマさん、りく役:宮沢りえさんをピックアップ!
宮沢さんが以前演じた大河ドラマの茶々といえば? https://t.co/AKEdBhsI5g
小池さん、宮澤さんの出演作も!https://t.co/NrrZEW3aT2#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/l2EDA2RwpO
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) February 13, 2022
そして、八重は千鶴丸(太田恵晴)が身を寄せているという寺社に向かい、息子に会いたい旨を告げます。
僧侶は、千鶴丸がすでに死去していることを八重に告げます。
伊東祐親(いとうすけちか 八重の父)のたっての願いで、千鶴丸の墓石はかなり立派なものになっていたのでした。[ad7]
頼朝らは千葉に到着する
伊豆地方を船で出た頼朝一行は海路で安房の国(あわのくに 現在の千葉県)に到着します。
当時は、頼朝に付くか付かないかで議論もされていたようでした。
↓時折西田敏行の後白河法皇が登場して笑いを取ります。
こんばんは、後白河法皇です。
どうにかこうにか逃げおおせた頼朝達は神奈川県真鶴の岩海水浴場の辺りから船で出発し、約63km(Googleマップ調べ)を漕ぎ、千葉県安房郡竜島辺りに上陸しました。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/X88m2JTdu9
— 吉乃 (@kitsunoikoma) February 13, 2022
そして、宗時が北条に取りに戻った仏像が、北条家に残されていたことを知った、時政・義時は宗時が討たれたことを察します。[ad4]
ドラマ『鎌倉殿の13人』第6話のネタバレと感想まとめ
今から考えても大変なことですが、頼朝らは当時の手漕ぎ船で東京湾を渡り、房総半島に上陸していたようです。
当時の太平洋岸は、かなり湿地状態だったようで、海岸線を歩いて行くことはかなり大変だったという話です。
しかし、今日の手漕ぎのボートのようなもので、東京湾を渡るとは、大変ことだったと想像します。
何とか、頼朝らは命運をつなぎ、打倒清盛の旗印を上げるのでした。